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サイト更新 2008/11/13
 

園芸促成蔬菜果実
割烹素材食料品
有限会社森商店
岩手県盛岡市南大通
2丁目8番11号
電話 019-651-1211
FAX 019-651-1273


定休日 日曜、祝祭日


―自伝盛岡人の序章―

お手紙拝誦いたしました。
詩の雑誌御発刊に就いて、私などまで問題にして下すったのは、寔に辱けなく存じますが、前に私の自費で出した「春と修羅」も、またそれからあと只今まで書きつけてあるものも、これらは到底詩ではありません。

私がこれから、何とかして完成したいと思って居ります、或る心理学的な仕事の仕度に、正統な勉強の許されない間、境遇の許す限り機会のある度毎に、いろいろな条件の下で書き取って置く、ほんの粗硬な心象スケッチでしかありません。私はあの無暴な「春と修羅」に於て、序文の考を主張し、歴史や宗教の位置を全く転換しようと企画し、それを基骨としたさまざまな生活を発表して、誰かに見て貰いたいと、愚かにも考えたのです。あの篇々がいいも悪いもあったものではないのです。

私はあれを宗教家やいろいろの人たちに贈りました。その人たちはどこも見てくれませんでした。春と修養をありがとうという葉書も来て居ます。出版者はその体裁からバックに詩集と書きました。私はびくびくものでした。亦恥かしかったためにブロンズの粉で、その二字をごまかして消したのが沢山あります。辻潤氏尾山氏佐藤惣之助氏が批評して呉れましたが、私はまだ挨拶も礼状も書けないほど恐れ入っています。私はとても文芸だなんということはできません。そして決して私はこんなことを皮肉で云っているのではないことは、お会い下されば、またよく調べて下されば判ります。

そのスケッチ二三篇、どうせ碌でもないものですが、差し上げようかと思いました。そしたらこんどは、どれを出そうかと云うことが大へんわたしの頭を痛くしました。これならひとがどう思うか、ほかの人たちと比較してどうだろうかなどという厭な考がわたしを苦しめます。わたしは本統にそんなに弱いのですから、笑ってもようございます。どうかしばらく私などは構わないでここらにそっと置いて下さい。どうせ家を飛び出したからだですから、どこへ行ってもいい訳ですがいろいろの事情がもうしばらく、或は永久に私をここへ縛りつけます。梅野さんにもお会いして申し上げて置きます。又あなたのお手紙からあなたにお会いしたいと思います。

(大正十四年二月九日)
※ 編注 賢治から荘已池への手紙

靴は神社参拝のときか、発火演習のときしかはかなかった。
体操の時間に上着をぬがせると、素裸になる生徒が沢山あった。カバンのヒモを出来るだけ伸ばして、肩にかけた。だからカバンは膝のあたりにぶらさがり、みんな下駄や足駄をがらがらさせて登校した。冬になると、マントを頭からかぶって、誰が誰やら一向解らなかった。老漢学者の時間には名簿をとりおわると、みんなぞろぞろと教室を出てしまった。鼠(ネジュミ)と仇名のある英語教師の時間には誰か鼠を持って来て教室にはなし、わあわあと一時間すごした。卒業生二百余人ものうち、陸海軍の学校へ希望したものは、たったひとりもなかった。

――こういう時代に、私は校友会雑誌を編集した。校長も部長も干渉しないのをいいことに、大冊の雑誌を三人で編集した。校長や先生の寄稿は全くたのまず、雑誌部長の俳句だけを二頁に掲載した。
 野球・柔道・競技そのほかの部報は、頁数をきちんときめて、小さくしてしまい、文芸原稿だけを、どっさり出した。猛者たちが、私をなぐろうかと相談したが、たったひとりで校長や先生に一言もものを言わせなかった男を、みんなでなぐるというのは、おかしいということになって、やめたという。私は、それを、ずっと後年になって聞いた。

北光路幻とか青木兇二とか畑幻人とか、作品ごとにペン・ネームも創作するということを考えて実行した。新聞に出たり、雑誌に出る土地の大家の詩や歌を、糞味噌にやっつけた文章も、これもいい加減なペン・ネームで発表した。やっつけられた大人たちは、不愉快になって、詩や歌の発表をやめ、作ることをやめた人まで出てきた。

歌の会や詩の会などで、その不快で無礼極まる匿名の投書者を噂していた。私はそんな席上で、ひとり心の中で、にやにや笑っていた。私の歌が、歌会の互選で一等をとったりしていたので、名乗ることはできなかったのだ。

 

朝から降っていた粉雪が、午後になって牡丹雪に変っていたから、寒さもゆるんで、あまりひどくはない夕暮れであった。
私は夕飯がとても待遠しくて「黄金焼」を十銭買ってきて炬燵にあたり、新聞の小説を読みながら、むしゃむしゃ食べていた。

――宮沢です。花巻の宮沢です。森さんはお宅ですか。――
聴きなれない、上あごの奥から出るようなバリトン風な声が、店の門口でして、母が、
――はあ、居りあんす。――
と、答えているのがきこえた。
私はどきっとして、目を据え、つばをのみこんだ。
――お客さんだ、佐一にお客さんだ。――
母が、家の中に呼んだ。

飛び出して行った私は、日和下駄をつっかけて門口に出ると、ぴょこんとおじぎをした。宮沢さんは、しばらく、ふに落ちない、どうもおかしいという風に、頭のさきから、足のさきまで、ちらちらとみてから、まじまじと私の顔を見つめた。黒いオーバーの肩に雪がつもり、停車場から傘もささずに来たものと見えて帽子をぬいで雪をおとすしぐさをしながら、ややあって、
 ――その辺まで出ませんか?――
とさそった。
私の家は八百屋で、間口が二間、奥行が八間、畳の敷いてある数が九枚きりで、あとは店と台所であった。店に立った客から、飯台のまわりで大勢の家族が、飯を食べているところも、台所で洗ったりしているところも、丸見えであった。この家の中に、私の兄弟六人と父母、父の兄弟など、十二、三人の家族がいるのであった。私たちは、「炬燵八人」といふことを、祖母からいつも聞かされていた。どうしても八人あたらなければならないので、「炬燵というものは、八人あたるにいいものだ」と、祖母は、いわなければならなかったであろう。まだ盛岡に電燈がない時代だったという。まっくらな、こんなに人間ばかりいて、ほかに金など無いにきまっているような八百屋に、泥棒が入ったことがあった。その泥棒は、懐中電灯のかわりに、火のついた一本のお線香で、寝ている人間の顔を照らして見ながら這い歩いた。だが、いくつもいくつも、つぎつぎと、似た顔がならんでいるので恐れをなして、出ていったという。

おばあさんだけは、その泥棒が入ってきたときから「いちぶしじゅう」を見ていたということである。ひとこえ、ふたこえ、「どろぼう、どろぼう」と叫べば、どろぼうなどつかまえることはわけないと思うのだが、どろぼうに入られたときは、
――どろぼう、どろぼう・・・・・
と、叫んでは駄目なので、
――火事だ、火事だ・・・・・・
と叫ばないと、隣近所では、かけつけてくれないと、おばあさんが教えた。

ともかく、こういう、せまい家の中を見透して、宮沢さんは、私を外に誘ったのであった。「ちょっと、そのへんまで出ましょう」というようなことは、私は生まれてはじめて聞いた、そういうことをいう人にも、はじめて会ったのである。

あとで賢治の家に行って、その大きいのに私は驚いた。表二階も裏二階もある上に、建坪は、私の家の三四倍は優にあった。(隣家の佐藤友八さんの家と土地を買い、その家をうしろにつないだものである。)
私は番傘をさして、宮沢さんと連れだって外に出た。中学生の小倉服のままである。
――あなたを、三十ぐらいのひとと思っていましてね。新聞にお書きになったものなどから想像して、私と同じ年ぐらいのひとかなと思っていましたよ。はあ、四年生ですか。――
さっき家の門口で、私を上から下まで、不審な顔をして見たのは、そういうわけがあったのだ。
暗い寺の横道を通って、私たちは八幡町の裏通りへ出た。番傘にさらさらと、かすかに雪が鳴った。盛岡劇場には灯がともり、何か芝居がかかっていた。幟が沢山立っていたが、風もなく静かな夕暮の雪であったから、幟ははためかず、ただ降る雪の中に立ち、ちらほらと三、四人づつ、角巻の人やマントの人が劇場に入って行くのが見えた。
その西洋料理店は、劇場の隣にあった。

 
二人で立派な玄関に立ったとき、私は、改めてこれは大変なことになってきたのではないかと思った。私は文章では、いろいろな大人のようなことを書いたけれども、ワンタンやシュウマイを食べに、支那そばやに一回入ったことがあったきりであった。カレー・ライスを西洋料理と思っていた。ワンタンを食べたときは、柔道部の同級生に連れられて、入ったのであった。そのときその同級生から、同性愛や芸者の実態などを話され、そういう世界もあるのかなと驚いたのであった。
私の知った世界は、全部活字と紙とからであったから、西洋料理屋に、いま現実にはいる自分が、身ぶるいするようなのを、寒いからだと頑張ろうとしたけれども、駄目であった。その同級生が、はじめて遊廓にゆくときには門口で、がたがたふるえるものだそうだと私に教えたことを思い出していた。玄関入口正面にある床屋よりも大きい鏡にうつる蒼い私の顔から、私はすぐ目をそらした。

階段からのぼり、廊下をまがって、私たちは割に小さい一番奥の部屋に案内された。その部屋は、劇場の東側に面していて、三尺の路地をへだてているのであった。ゆっくりと静かに降るボタン雪をすかして、明るい灯が見えた。椅子に腰をおろすと、その人はメニューを見て、白いエプロンをした女給に、何かいいつけた。ハイハイと二つ三つ返事をしただけで、簡単に女の人は去った。白いナプキンと銀のナイフやフォークが、三いろもならべて置かれたとき、私は、ますます恐ろしくなったが、またどきょうの坐るのを覚えた。

 
それから、むづかしい話がはじまったのだ。
その人のする通りナイフとフォークをとってまねをして食べなければならなかったし、話も聞かなければならなかった。私は乱視になるほど本を読んで、教室の黒板にチョークで書いたマイナスがイコールに見えたり、白粉をぬった女の人の眉が、二本にかさなったて見え、お月さんが、いくつもいくつも複成してかたまりのように見える目になっていたけれども、その人の話すことは、私の知識のそとがわにあることばかりであった。
非ユークリッド幾何学や氷河期や法華経や、ベートーヴェンなど、ともかくこの人の後から後から話すことを、私は何パーセントとも言えないぐらいしか理解できなかった。私は、えんえんと燃える火事とか、とうとうと流れる洪水とか、そういうものを見る人のように、心中では呆然としていながら、口ではただ「ハアハア」と、うなづくように返事をして、わけもなく笑ったりしつづけた。私はまた、暴風雨のようなものに、うちひしがれた一本の草のようでもあった。けれども私は、こころも顔も、ひかりかがやくような、私の周囲にはもちろん、どこでも見たことのない人を見て、卑屈になったり、まいったりするヒマもなかった。不思議な人が、この世にいたものだと、びっくりしていた。
すると今度は歌になった。
この人は、椅子から立上ると、学芸会の舞台に立つ小学生のように、両手をズボンのポケットのところにきちんとさげ、力いっぱい歌い出した。「星めぐりの歌」「ポラーノの広場の歌」「飢餓陣営の歌」「種山ヶ原の歌」などであった。歌はそれぞれコミック・オペレッタなどに使われた、この人の自作のものであった。そして歌のあとさきに、それらの劇やストーリーや演出を語った。雷神になった生徒が、舞台で跳ねあがって、降りたとき、何かを刺して、足にケガをしたそうで、神さんのバチが当ったのです――というように言って、私をおどろかした。
学校の講堂のような広いところで歌うように勢いよく、この小部屋で歌った。部屋がレコードの箱のようであった。こっちが窓をあけて歌っているので、芝居の幕間で休憩のひとたちが、窓をあけて重なり合って見て聞いていた。驚いた女給が、そっとドアをあけてのぞいて見たりした。盛岡で西洋風な歌唱の会が、はじめて開かれるよりも、この人の歌唱の方がさきだったように思う。バリトン照井栄三や、音楽学校の先生の女性歌手が歌ったのは、二、三年のちのことである。<br>
――これで私の歌は全部です。――
いつの間にか、三四時間はすぎていた。私がかつて見たことのない、明るい笑顔の連続であったし、高い透明な声の歌であった。
――さあ帰りましょう・御迷惑をおかけいたしました。――
というと、その人はポケットから、ハトロン封筒をとりだした。それは、ふくらんで、ずっしりと重い銭でも入っているようであった。草花の種か、穀物でも出すように、ざらざらと、テーブルの上に小さな山をつくった。全部が十銭銀貨であった。<br>
――これで、少しはよけいにあると思います――
といって、女給も出て来ないのに、その西洋料理店大洋軒を出た。

 

 

牡丹雪は、まだ降っていた。人の通らなくなった道に、雪はもう一尺近くもつもり、私はまた番傘をさした。
――ああ愉快でした。せいせいしました。花巻にもぜひ遊びに来て下さい――
黒いオーバーが私の家の前に立って見送っている私の目から消えて、角の薬屋を曲って行ってしまった。


炬燵では母が居ねむりをしていた。
私はあの人に書いた手紙を、はづかしいことをしてしまったと、くやんでいた。
『春と修羅』について、まるで見当はづれの讃辞を書きつらねたし、岩手詩人協会というものをつくったから、会員になって、機関誌『貌』のために三円の同人費と、詩を送って下さいとかいたものであった。
目をさました母は、どんなものをごちそうになったのかと私に聞いた。話す方も聞く方も、トンチンカンなことであったが、ハトロン封筒から、十銭銀貨を出して、盛りあげて黙って帰った――ということには、目をまるくして、よっぽどのお金持ちだろう――ということを言った。
私の学校友達で、始終家にくる者は、タビの裏が半分もなくなっているものとか、ドンブリに出したシナの乾柿、青島柿を全部食べて帰るような者ばかりいたのである。

 

(創作集 「店頭」 昭和十五年十二月十日)
森 荘已池著   森 義真編
 
 
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